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脳梗塞後遺症:感覚性失語の父、復活!珍道中 その3)退院日を勝手に決めた父

今年74歳になる父は、1年前の2016年3月末に脳梗塞になりましたが、おかげさまで3ヶ月後の2016年6月に無事に退院しました。

父の障がいは、「感覚性失語」。見た目には、分かりにくい障がいについて、少しでも知っていただけたら…と思います。

 

 

*その1)認知症?と思ったら、脳梗塞だった!!!・・・https://riecs.net/blog/614/

*その2)治療は必要だけど、病人にはしない・・・https://riecs.net/blog/615/

 

日付が変わった、2016年4月2日の夜中に、脳梗塞で入院した父

3週間程度の治療入院の後、4月末にはリハビリ病院に転院。

 

今までは、治療が優先で、ベッド上にいることが多かったけど…

 

リハビリ病院では、理学療法・作業療法・言語療法、いわゆるリハビリフルコース。

一日、3時間はリハビリの時間。

 

日常生活(トイレや食事、着替えなど)が一人でできるので、一番メインのリハビリは、言語療法。

 

ちなみに、理学療法は入浴訓練の時間で、お風呂好きの父には、良い時間だった様子。

治療入院していた病院では、お風呂に入れなかったので…

1ヶ月ぶりにシャワーのある生活がスタート!!

 

作業療法では、担当の作業療法士さんが私のリクエストにも快く応じてくださり、

退院後の生活を想定して、以前から行っていた、お風呂掃除やゴミの分別について評価をしていただきました。

ちょっと非効率なところはあるけど、大丈夫そう、とのことで一安心。

退院直後から、お風呂掃除&ゴミ出しをしてくれています。

 

そして、メインの言語療法

ここで、父の頑固ぶりが、かなり発揮されました。

言語聴覚士さんの提案してくださったプログラムに、一応は応じるものの、「意味がない」と独自のリハビリを開始…笑

 

父はまず、文字や文章が読める様になりたかった様子。

一方、言語療法では、絵と漢字を一致させたり、物の呼称を練習したりしていた様子。

 

特に、物の呼称は父にとっては、難しい。

例えば、携帯電話を見て、何をするものかはわかっても、「でんわ」と言う名前が言えない。

「ジム」と言ったり、全く意味のない言葉を言ったりする。

しかも、毎回違う。

そして、違う言葉を言っていることも、自分では理解していない。

 

そういう状況なので、父は、文字が読めるの様になることが先、だと考え…

 

リハビリ病院入院数日後の初外泊の時に、

家にあった、標語が書いてあるカレンダーをベッドサイドに持って帰った。

さらに50音表が欲しいと言うので、弟がネットから探して印刷。

 

50音表を見ながら、標語を何回も紙に書き写して、読む。

 

 

例えば…

「ありがとう」 を 「さ」「な」「わ」「ま」「り」と読んだりする。

 

「『あ』だよ」と言っても

「わ」とか「う」と言う

さらに毎回、言う音が異なる。

 

相手の言っていることも、自分の言っていることも

とにかく、「音の聞き取り」が難しい。

 

それでも、唇や舌の動きを見てもらったり、

「あ!」っと言いながら指を差す、ジェスチャー付きで、音を出し、

父が少しでもわかる様に、私も工夫をして伝える。

 

もともと、右脳優位の父なので

50音表の位置で、文字と音を一致させていく作業をしている様子。

 

最近では、少しずつ、文字と音が一致する様になってきた

(「あ」を「あ」と読み、「り」を「り」と読むことができる)

 

そんなこんなで、独自のリハビリを始めた父は、入院してリハビリを受ける意味をだんだん感じなくなってきた様で…

 

1ヶ月半くらい経ったある日、勝手に退院日を決めていた。

ある日、病室に行くと…

父:6月24日に退院する と…カレンダーを使って伝える

RIE : えっ???? 帰ってくるの???

 

言葉でのコミュニケーションが難しい父が、
病院のスタッフに退院の希望を伝えて、日程まで決めてしまった。

 

おそるべし、強い思い
そして、この底知れない能力に感服…の反面

 

いくら本人の希望でも、さすがに家族の意向も確認してから退院日を決めて欲しい…

父が決めた退院日は、私も母も、既に予定があって迎えに来れませんが…とナースステーションへ訴えに行く。

 

結果・・・父の希望よりも数日後に、おかげさまで無事に退院。
(実際には、退院日が延びたことを、説得するのにちょっと苦労したけれど…笑)

 

退院の時は、ナースステーションで「どうも」と言い(偉そうだ…笑)、

エレベーターも使わず、荷物を両手に持って、スタスタと階段を降りて行く姿に、
看護師さんたちが「え…???(階段で降りるの?しかも荷物持って?)」と、
目がパチクリとなっていたのが印象的でした。

 

スタッフの皆様、お騒がせしました…そして、ありがとうございました!

 

次回は…退院後、警察沙汰がありながらも…平和(?)な日々 です!
https://riecs.net/blog/619/

また明日〜

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最後まで読んでくださって、ありがとうございました♬

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脳梗塞後遺症:感覚性失語の父、復活!珍道中 その2)「治療は必要だけど、病人にはしない」

今年74歳になる父は、1年前の2016年3月末に脳梗塞になりましたが、おかげさまで3ヶ月後の2016年6月に無事に退院しました。

父の障がいは、「感覚性失語」。見た目には、分かりにくい障がいについて、少しでも知っていただけたら…と思います。

 

その1)認知症?と思ったら、脳梗塞だった!!
倒れない脳梗塞もあります
https://riecs.net/blog/614/

 

脳梗塞を発症し、人生初の入院をした病院嫌いの父

 

私もショックだったけど…

「治療が必要だけれど、病人にはしない」

「仮に、明日父が死んでも、後悔しないようにしよう」

心友と話して心に決めたこの言葉を支えに、
今、自分ができることをすることで、不安を乗り切った感がある

 

そのために、私がやったことは至って簡単

「髭剃り」 

タンスの奥にしまってあった電気のシェーバーと鏡を病室へ持っていき、父自身に髭剃りをしてもらう。

普段は、T字型のカミソリで剃っていたので、そのカミソリを使いたいと言う…。

作業療法士としては、慣れた道具を使った方がいいよなぁ〜とも思う。

が…間違って皮膚を切ってしまったら…血液サラサラの薬を飲んでいるし、

止血しにくいかも…と考えて、電気シェーバーで。

最初は使い方が微妙で、刃でない方を肌に当てたり

鏡にどのように自分を写したら良いか、試行錯誤している様子が見られたけど…次第に上手に!!

 

余談…
父の髭剃りの様子を、作業療法の評価法AMPSで評価すると、間違いなくプロセス技能の問題満載だと思われる。
でも、病院のリハビリ評価(FIM)では、日常生活活動(ADL)は、ほとんど7点、つまり「自立」 ……(笑)。
何を、どのように見て判断するか、という評価の視点って大事だなぁ〜。
髭剃りの様子、ビデオに撮っておけば良かった…笑。

 

「足湯&足マッサージ」

お風呂好きだった父が、入院後1回もお風呂に入れず…シャワーもできない状況

アロマセラピーを学んだ先生に、ブレンドオイルを作ってもらい、足湯&足マッサージをする。

続けると…なんと!父の足裏の固〜い角質がポロリと取れて、すべすべ肌に生まれ変わった!(◎_◎;)

アロマの力、すごい!と私は感動、父は無感動(笑)

 

でも…髭剃りと足湯を始めると…

もっとさっぱりしたいようで…

自分からタオルで体を拭き始め、下着を替えて着替えをするように♬

 

「一緒にご飯を食べる」

昼か夜、どちらかは、一緒にご飯を食べた。

昼はお弁当を持って行って

夜は、父のご飯をつまみ食いして

特に食事制限がなかったので

母が作ったおかずを持って行くこともあった。

これは美味しい、これは美味しくない、などと言いながら

 

幸い、私が個人事業主として仕事を始めて数ヶ月後のことだったので

仕事が少ない=時間がある=病院に行ける

今思うと、私の最初の仕事は、父の作業療法だった

 

いわゆる、訓練室やベッドサイドで行うリハビリではなく

その人の「病院での暮らし」に関わる作業療法

できるだけ、家にいる時の暮らしと同じように…

もちろん、かけ離れていて、難しいことの方が多いけど

小さなできることは、たくさんあることも発見♬

私の自己満足…という面も十分にあるけれど(笑)

 

病室という限られた空間と、限られた作業しかない生活

 

 

父が好きだった囲碁を、入院翌日に持って行ったけれど、五目並べも理解できない

新聞に載っている、囲碁の図を見て、同じように並べたりもしていたけれど、

「今じゃない」と自分で判断。

 

その代わり(?)に、父が始めたのは…病棟見回り(笑)

病室の数・ベッドの数など、数えて、報告してくれる。

 

数を数えたり、計算するのは、前から好きだった。

 

最初は自分のいる病棟

次は、廊下続きの隣の病棟へ勝手に移動

(病院関係者からすると、かなり迷惑な患者…笑)

 

日中に、ウロウロと歩き回る父を見て

自分の病室が分からなくなったのでは…と

最初は、師長さんが心配して付き添ってくださっていたようだけれど

 

次第に、ちゃんと分かってウロウロしていることを理解してくださり

良い意味で放っておいてくださるようになった

 

そして、「お父さん、すごいですね」と

よく分からないけいけれど、お褒めの言葉もいただいた。

 

でも、確かに父はすごかった

 

「名前は?」と聴かれても答えられない父が

 

RIE:  言葉がわからなくても、生きていけるからね…と言うと

父:  そりゃそうだ…と答え

 

その通りに、生きている。

 

言われている言葉は分からないけれど、自分の思いは一生懸命伝えようとする。

話をしようとする。

 

父が言っていることは、ほぼ理解してもらえないけれど…

とにかく、臆せず伝えようとする。

 

その姿は本当にすごいと思う。

 

一方、伝えることがメインになりすぎて、人の話を聴かないと言う難点も(笑)

でも…これは脳梗塞になる前からなんだなぁ〜

 

そうしたら、担当の言語聴覚士(ST)さんにも…

 

STさん:あまり、話を聴こうとされないんですけど、前からですか?

RIE  :そうなんですよ、前から人の話は聴かないんです。なんとかなりませんかね〜?

STさん:う〜ん、それは何とも…(苦笑)

 

まぁ、そりゃそうだ(笑)

70年以上の性格や特徴は、そんなに簡単には変わらない

生きているだけで、丸もうけ!

長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました❤️

次回は、「勝手に退院!」の巻
https://riecs.net/blog/616/

また明日!

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入院して1ヶ月後、弟が帰省
父は初の外泊、久しぶりの家
父を病院へ、弟を空港へ送った帰り道
海辺のカフェで、母と一息
景色と、自然、美味しい料理に癒された

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桜が綺麗だな〜とのんきに思っていた

2016年3月31日の夜

父とのコミュニケーションが、急に取りにくくなった。

 

あるイベントで500円を払ったのだが

「50枚」と言って譲らない

 

RIE:500円だよね?

父  :50枚

RIE :なんで50枚?

父 :なんでわからん!(怒)

 

はぁ〜?????W(`0`)W

私も怒りがピーク

 

今まで些細な変化に気づかなかったけど…認知症??

寝たら治る?

…そんななわけないかぁ、と思いつつも、そうであって欲しいと祈る気持ち

 

けれど、翌日もやっぱり言葉が伝わらない

どんどん無言になる父

ジェスチャーや書いてみせると何となくわかるが、明らかに今までと違う

 

でも、庭の草取りは完璧にできる

慣れた作業はできるんだよなぁ〜

 

色々と調べ、友人知人を頼りまくった結果…

最後はドクターの友人から「すぐに病院に行って!!電話しとくから!」

 

病院嫌いの父、同じく病院にはできるだけ行きたくない私

この友人の一言で、寝ている父を起こして、救急指定の病院へ行く決心ができた。

 

4月1日の夜11時を過ぎ。

おそらく、発症から27時間経過

 

看護師さんに、名前を聞かれても、生年月日を聞かれても答えられず…

「手を伸ばしてください」と言われても、やらない

動作そのものはできるけど、何を言われているか分からない様子

 

検査の結果…MRIは左側が真っ白…

ドクターから「脳梗塞です」と言われて…

納得…

さぁ、これからどう生きて行くかだなぁ〜と漠然と思うも、

父の予後も良くわからない。不安のみ…

 

翌日、親友と話をしたおかげで心が落ち着いた

「治療が必要だけれど、病人にはしない」

「仮に、明日父が死んでも、後悔しないようにしよう」

この2つの思いが私の支えとなる。

 

一方の父…

状態が安定するまで、見守りの手厚い病室で過ごすが…

ありがたいことに

一人で点滴スタンドを押してトイレに行くし、ご飯も食べることができる

入院初日で、結構自由に病室内を動いている…

 

でも…

お箸を1本だけで食べようとしたり

ご飯をつまむのがおぼつかなかったり

手の震えも少し見られた

軽い運動麻痺と、失行もあるかなぁ〜

 

すぐに、挟みやすい箸をアマゾンで購入

(結局、使わなかったけど…)

 

そして…

言葉は、やっぱり通じない

聞かれていることも分からない様子

自分の名前も言えない

もちろん、家族の名前も言えない

 

言う言葉は、「ヨーコ」と「ジム」

 

ちょっと面倒だったのが…

誰かの名前を言う時は全て「ヨーコ」

「ヨーコ」は父の末妹の名前

母にも、私にも、父の兄にも、そのお嫁さんにも

すべて「ヨーコ」(笑)

 

母は非常に複雑な気分

その気持ちをなだめるのがちょっと大変(笑)

 

私は、父が私の名前を言えなくても、呼び違えても、全く気にならなかった

 

私に限らず、母のことも、叔父・叔母のことも、

父は、誰かはちゃんと分かっている

ただ、名前が出てこないだけ

と分かっていたから…

 

でも、そう思うことができたのは

これまで出会ってきたお子さんたちのおかげ

彼らは、言葉は発しなくても、ちゃんと分かっているよ〜ということを教えてくれていた

本当に感謝。

 

次回は…「治療は必要だけど、病人にはしない」の巻
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また明日!

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父が脳梗塞を発症する数日前の桜🌸

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