脳梗塞後遺症:感覚性失語の父、復活!珍道中 その1)認知症?と思ったら脳梗塞だった!
今年74歳になる父は、1年前の2016年3月末に脳梗塞になりましたが、おかげさまで3ヶ月後の2016年6月に無事に退院しました。
父の障がいは、「感覚性失語」。見た目には、分かりにくい障がいについて、少しでも知っていただけたら…と思います。
桜が綺麗だな〜とのんきに思っていた
2016年3月31日の夜
父とのコミュニケーションが、急に取りにくくなった。
あるイベントで500円を払ったのだが
「50枚」と言って譲らない
RIE:500円だよね?
父 :50枚
RIE :なんで50枚?
父 :なんでわからん!(怒)
はぁ〜?????W(`0`)W
私も怒りがピーク
今まで些細な変化に気づかなかったけど…認知症??
寝たら治る?
…そんななわけないかぁ、と思いつつも、そうであって欲しいと祈る気持ち
けれど、翌日もやっぱり言葉が伝わらない
どんどん無言になる父
ジェスチャーや書いてみせると何となくわかるが、明らかに今までと違う
でも、庭の草取りは完璧にできる
慣れた作業はできるんだよなぁ〜
色々と調べ、友人知人を頼りまくった結果…
最後はドクターの友人から「すぐに病院に行って!!電話しとくから!」
病院嫌いの父、同じく病院にはできるだけ行きたくない私
この友人の一言で、寝ている父を起こして、救急指定の病院へ行く決心ができた。
4月1日の夜11時を過ぎ。
おそらく、発症から27時間経過
看護師さんに、名前を聞かれても、生年月日を聞かれても答えられず…
「手を伸ばしてください」と言われても、やらない
動作そのものはできるけど、何を言われているか分からない様子
検査の結果…MRIは左側が真っ白…
ドクターから「脳梗塞です」と言われて…
納得…
さぁ、これからどう生きて行くかだなぁ〜と漠然と思うも、
父の予後も良くわからない。不安のみ…
翌日、親友と話をしたおかげで心が落ち着いた
「治療が必要だけれど、病人にはしない」
「仮に、明日父が死んでも、後悔しないようにしよう」
この2つの思いが私の支えとなる。
一方の父…
状態が安定するまで、見守りの手厚い病室で過ごすが…
ありがたいことに
一人で点滴スタンドを押してトイレに行くし、ご飯も食べることができる
入院初日で、結構自由に病室内を動いている…
でも…
お箸を1本だけで食べようとしたり
ご飯をつまむのがおぼつかなかったり
手の震えも少し見られた
軽い運動麻痺と、失行もあるかなぁ〜
すぐに、挟みやすい箸をアマゾンで購入
(結局、使わなかったけど…)
そして…
言葉は、やっぱり通じない
聞かれていることも分からない様子
自分の名前も言えない
もちろん、家族の名前も言えない
言う言葉は、「ヨーコ」と「ジム」
ちょっと面倒だったのが…
誰かの名前を言う時は全て「ヨーコ」
「ヨーコ」は父の末妹の名前
母にも、私にも、父の兄にも、そのお嫁さんにも
すべて「ヨーコ」(笑)
母は非常に複雑な気分
その気持ちをなだめるのがちょっと大変(笑)
私は、父が私の名前を言えなくても、呼び違えても、全く気にならなかった
私に限らず、母のことも、叔父・叔母のことも、
父は、誰かはちゃんと分かっている
ただ、名前が出てこないだけ
と分かっていたから…
でも、そう思うことができたのは
これまで出会ってきたお子さんたちのおかげ
彼らは、言葉は発しなくても、ちゃんと分かっているよ〜ということを教えてくれていた
本当に感謝。
次回は…「治療は必要だけど、病人にはしない」の巻
https://riecs.net/blog/615/
また明日!
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引野里絵(作業療法士&グローアップクリエーター )
父が脳梗塞を発症する数日前の桜🌸
│更新日:2017年06月22日│