脳梗塞後遺症:感覚性失語の父、復活!珍道中 その4)警察沙汰ありつつも豊かな人生♬
今年74歳になる父は、1年前の2016年3月末に脳梗塞になりましたが、おかげさまで3ヶ月後の2016年6月に無事に退院しました。
父の障がいは、「感覚性失語」。見た目には、分かりにくい障がいについて、少しでも知っていただけたら…と思います。
*その1)認知症?と思ったら、脳梗塞だった!!!
https://riecs.net/blog/614/
*その2)治療は必要だけど、病人にはしない
https://riecs.net/blog/615/
*その3)退院日を勝手に決めた父
https://riecs.net/blog/616/
父は10年間、民生委員をしていた。
父には申し訳なかったけれど、父の意向は確認せず…
母が入院後すぐに辞退を申し出たことがあった。
父が入院している間、民生委員の仕事が途切れてしまうこと、
仮に退院しても感覚性失語ではお役に立てそうもないことが理由だった。
でも、他の民生委員の皆さんは、脳梗塞は回復の可能性もあるから、退院した時に、辞めるか続けるかを判断しても遅くない。
その間の役割は今いる委員の方々で分担するから、と言ってくださった。
回復といってもなぁ〜すぐには難しそうだけど…
と思ったけれど、その時点では、皆さんのお気持ちをありがたく受け取った。
退院した時に、父は…
任期が終わる11月までは、何かしらお役に立てるところでお役に立ちたい、と…
自分でできることはする、と言っていた。
11月以降は辞めるが、それまでは辞めないと言う。
やっぱり頑固…。
そして、退院してすぐに、担当している地区に行きたいと言うので、私も父と一緒にその地区を歩いてみる。
担当していたお宅の場所も覚えているが、相手の方のお名前も、自分の名前も言えない。
声をかける時は、私が声をかけさせていただき、父の様子も伝えた。
そんなある日、私がいない時に、父が氣になっていた方のお宅を、一人で尋ねてしまった様子。
玄関から呼びかけても応答がない。
高齢の方のお宅だったようで、応答がないことが氣になり、
窓から家の中をのぞいていた、とのこと。(この時点で十分に不審者…d( ̄  ̄))
その様子をご家族が見て、不審に思い、父に声をかけたら
父「山田さん?」
ご家族「いいえ、違います。」
父「山田さん?」
と…しつこかたったらしく…警察へ通報…m(._.)m
感覚性失語という障がいのある父は、相手の言っていることは分からないし、
仮に、自分では「佐藤さん」だと思っていても、「山田さん」と言っていることもある。
そして、その違いに氣づいていない。
※固有名詞は仮称です。
ご家族の、不審はごもっとも。
警察への通報も当然のこと。
けれど父は、なぜ警察を呼ばれたか分からず、怒っている。
そして、その地域の方や、間に入ってくださった方から、一人で出かけるのはやめてほしいと言われ、さらに怒る…。
そして、この件を機に、「やっぱり、民生委員は辞退してほしい」と言われ、さらに怒る…。
父は、話の内容は十分に理解できないけれど、感覚的に内容を受け取っているところがある。
なので、この怒りを治めるのがちょっと大変だった。
内容が分からず怒っているのではない。
納得ができずに怒っているのだ。
感覚性失語のことや
地域の方に、父の存在を知ってもらい、理解してもらうことができれば
一人で出かけることもできるのになぁ〜と社会的障壁を感じつつも…
地域で暮らしていくためには、地域の方に安心していただくことも大事。
だったら、人の噂も75日。75日間は一人外出禁止令…笑。
父は、納得できないままだったが、その約束をちゃんと守っていた。
そして、75日経った頃には、一人で外出していても、誰からも何も言われなくなった。
そして、その頃(9月)開催された、退職職員の囲碁大会(島根県大会)に出場。
入院時は五目並べもできなかった。
新聞の囲碁欄を見ながら、碁石を並べることもあったが、「今じゃない」と辞めていたが、
急に囲碁大会に出場すると言う。
会の主催者の方にも事情を説明したら、「ぜひ参加してください!」と暖かく迎えていただく。
父は、もともと4段で打っていたようだが、今回は初段のクラスで挑戦。
そしたら…不戦勝も含めて、全勝してしまった…
父は、自分が思うようには打てなかったようだけれど、
父の試合を見ていた方からは、「鋭い碁を打っていたよ」とお褒めの言葉をいただく。
そして、中国大会へ…
中国大会では、2勝1敗で、全国大会へは行けなかったけれど…
この試合をきっかけに、家でも囲碁を打つことが多くなり、
NHKの囲碁のテレビも見るようになり、4月からは月に2回、囲碁の会に出かけるようになった。
月1回は、失語症の会の皆さんとの食事会
月1回は、祖母がお世話になっていた特別養護老人ホームでの、布切りボランティア参加
月2回は、囲碁の会参加
なんだかんだと、毎週出かける先があり
県立美術館、市の図書館へ出かけたり
(身体障害者手帳4級につき、バスが無料なので、バスに乗って出かけて行く)
庭の手入れをしたり
畑の手伝いをしてくれたり
入院前は、民生委員の役で忙しかったようだが、
退院後は、自分の時間を中心に生きている。
ある時父が「これからは、遊んで生きる!」と言った。
(ふとした言葉は、スーッと出てくるときがあるのも失語の特徴。ちゃんと話そうとすると、言葉が出にくくなる)
そして、その通りに生きている。
今の自分を、どのように感じているかは分からないが、
少なくとも、力強く生きている。
そんな生き様を見せてくれていることに感謝。
4日間、読んでくださってありがとうございました。
本当は、もっともっと面白いエピソードがいっぱいあるのです。
ブログには書けないことも…笑
もしも、興味のある方がおられたら、出会った時にお声掛けください〜♬
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最後まで読んでくださって、ありがとうございました♬
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畑の合間に、辞書を開いて勉強中…笑
久しぶりの囲碁大会@島根県大会
大豆の選別。大助かり!ありがとう〜♬
数独クリア! 私には無理…笑
│更新日:2017年06月25日│
脳梗塞後遺症:感覚性失語の父、復活!珍道中 その3)退院日を勝手に決めた父
今年74歳になる父は、1年前の2016年3月末に脳梗塞になりましたが、おかげさまで3ヶ月後の2016年6月に無事に退院しました。
父の障がいは、「感覚性失語」。見た目には、分かりにくい障がいについて、少しでも知っていただけたら…と思います。
*その1)認知症?と思ったら、脳梗塞だった!!!・・・https://riecs.net/blog/614/
*その2)治療は必要だけど、病人にはしない・・・https://riecs.net/blog/615/
日付が変わった、2016年4月2日の夜中に、脳梗塞で入院した父
3週間程度の治療入院の後、4月末にはリハビリ病院に転院。
今までは、治療が優先で、ベッド上にいることが多かったけど…
リハビリ病院では、理学療法・作業療法・言語療法、いわゆるリハビリフルコース。
一日、3時間はリハビリの時間。
日常生活(トイレや食事、着替えなど)が一人でできるので、一番メインのリハビリは、言語療法。
ちなみに、理学療法は入浴訓練の時間で、お風呂好きの父には、良い時間だった様子。
治療入院していた病院では、お風呂に入れなかったので…
1ヶ月ぶりにシャワーのある生活がスタート!!
作業療法では、担当の作業療法士さんが私のリクエストにも快く応じてくださり、
退院後の生活を想定して、以前から行っていた、お風呂掃除やゴミの分別について評価をしていただきました。
ちょっと非効率なところはあるけど、大丈夫そう、とのことで一安心。
退院直後から、お風呂掃除&ゴミ出しをしてくれています。
そして、メインの言語療法
ここで、父の頑固ぶりが、かなり発揮されました。
言語聴覚士さんの提案してくださったプログラムに、一応は応じるものの、「意味がない」と独自のリハビリを開始…笑
父はまず、文字や文章が読める様になりたかった様子。
一方、言語療法では、絵と漢字を一致させたり、物の呼称を練習したりしていた様子。
特に、物の呼称は父にとっては、難しい。
例えば、携帯電話を見て、何をするものかはわかっても、「でんわ」と言う名前が言えない。
「ジム」と言ったり、全く意味のない言葉を言ったりする。
しかも、毎回違う。
そして、違う言葉を言っていることも、自分では理解していない。
そういう状況なので、父は、文字が読めるの様になることが先、だと考え…
リハビリ病院入院数日後の初外泊の時に、
家にあった、標語が書いてあるカレンダーをベッドサイドに持って帰った。
さらに50音表が欲しいと言うので、弟がネットから探して印刷。
50音表を見ながら、標語を何回も紙に書き写して、読む。
例えば…
「ありがとう」 を 「さ」「な」「わ」「ま」「り」と読んだりする。
「『あ』だよ」と言っても
「わ」とか「う」と言う
さらに毎回、言う音が異なる。
相手の言っていることも、自分の言っていることも
とにかく、「音の聞き取り」が難しい。
それでも、唇や舌の動きを見てもらったり、
「あ!」っと言いながら指を差す、ジェスチャー付きで、音を出し、
父が少しでもわかる様に、私も工夫をして伝える。
もともと、右脳優位の父なので
50音表の位置で、文字と音を一致させていく作業をしている様子。
最近では、少しずつ、文字と音が一致する様になってきた
(「あ」を「あ」と読み、「り」を「り」と読むことができる)
そんなこんなで、独自のリハビリを始めた父は、入院してリハビリを受ける意味をだんだん感じなくなってきた様で…
1ヶ月半くらい経ったある日、勝手に退院日を決めていた。
ある日、病室に行くと…
父:6月24日に退院する と…カレンダーを使って伝える
RIE : えっ???? 帰ってくるの???
言葉でのコミュニケーションが難しい父が、
病院のスタッフに退院の希望を伝えて、日程まで決めてしまった。
おそるべし、強い思い
そして、この底知れない能力に感服…の反面
いくら本人の希望でも、さすがに家族の意向も確認してから退院日を決めて欲しい…
父が決めた退院日は、私も母も、既に予定があって迎えに来れませんが…とナースステーションへ訴えに行く。
結果・・・父の希望よりも数日後に、おかげさまで無事に退院。
(実際には、退院日が延びたことを、説得するのにちょっと苦労したけれど…笑)
退院の時は、ナースステーションで「どうも」と言い(偉そうだ…笑)、
エレベーターも使わず、荷物を両手に持って、スタスタと階段を降りて行く姿に、
看護師さんたちが「え…???(階段で降りるの?しかも荷物持って?)」と、
目がパチクリとなっていたのが印象的でした。
スタッフの皆様、お騒がせしました…そして、ありがとうございました!
次回は…退院後、警察沙汰がありながらも…平和(?)な日々 です!
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また明日〜
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│更新日:2017年06月24日│
脳梗塞後遺症:感覚性失語の父、復活!珍道中 その2)「治療は必要だけど、病人にはしない」
今年74歳になる父は、1年前の2016年3月末に脳梗塞になりましたが、おかげさまで3ヶ月後の2016年6月に無事に退院しました。
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倒れない脳梗塞もあります
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脳梗塞を発症し、人生初の入院をした病院嫌いの父
私もショックだったけど…
「治療が必要だけれど、病人にはしない」
「仮に、明日父が死んでも、後悔しないようにしよう」
心友と話して心に決めたこの言葉を支えに、
今、自分ができることをすることで、不安を乗り切った感がある
そのために、私がやったことは至って簡単
「髭剃り」
タンスの奥にしまってあった電気のシェーバーと鏡を病室へ持っていき、父自身に髭剃りをしてもらう。
普段は、T字型のカミソリで剃っていたので、そのカミソリを使いたいと言う…。
作業療法士としては、慣れた道具を使った方がいいよなぁ〜とも思う。
が…間違って皮膚を切ってしまったら…血液サラサラの薬を飲んでいるし、
止血しにくいかも…と考えて、電気シェーバーで。
最初は使い方が微妙で、刃でない方を肌に当てたり
鏡にどのように自分を写したら良いか、試行錯誤している様子が見られたけど…次第に上手に!!
余談…
父の髭剃りの様子を、作業療法の評価法AMPSで評価すると、間違いなくプロセス技能の問題満載だと思われる。
でも、病院のリハビリ評価(FIM)では、日常生活活動(ADL)は、ほとんど7点、つまり「自立」 ……(笑)。
何を、どのように見て判断するか、という評価の視点って大事だなぁ〜。
髭剃りの様子、ビデオに撮っておけば良かった…笑。
「足湯&足マッサージ」
お風呂好きだった父が、入院後1回もお風呂に入れず…シャワーもできない状況
アロマセラピーを学んだ先生に、ブレンドオイルを作ってもらい、足湯&足マッサージをする。
続けると…なんと!父の足裏の固〜い角質がポロリと取れて、すべすべ肌に生まれ変わった!(◎_◎;)
アロマの力、すごい!と私は感動、父は無感動(笑)
でも…髭剃りと足湯を始めると…
もっとさっぱりしたいようで…
自分からタオルで体を拭き始め、下着を替えて着替えをするように♬
「一緒にご飯を食べる」
昼か夜、どちらかは、一緒にご飯を食べた。
昼はお弁当を持って行って
夜は、父のご飯をつまみ食いして
特に食事制限がなかったので
母が作ったおかずを持って行くこともあった。
これは美味しい、これは美味しくない、などと言いながら
幸い、私が個人事業主として仕事を始めて数ヶ月後のことだったので
仕事が少ない=時間がある=病院に行ける
今思うと、私の最初の仕事は、父の作業療法だった
いわゆる、訓練室やベッドサイドで行うリハビリではなく
その人の「病院での暮らし」に関わる作業療法
できるだけ、家にいる時の暮らしと同じように…
もちろん、かけ離れていて、難しいことの方が多いけど
小さなできることは、たくさんあることも発見♬
私の自己満足…という面も十分にあるけれど(笑)
病室という限られた空間と、限られた作業しかない生活
父が好きだった囲碁を、入院翌日に持って行ったけれど、五目並べも理解できない
新聞に載っている、囲碁の図を見て、同じように並べたりもしていたけれど、
「今じゃない」と自分で判断。
その代わり(?)に、父が始めたのは…病棟見回り(笑)
病室の数・ベッドの数など、数えて、報告してくれる。
数を数えたり、計算するのは、前から好きだった。
最初は自分のいる病棟
次は、廊下続きの隣の病棟へ勝手に移動
(病院関係者からすると、かなり迷惑な患者…笑)
日中に、ウロウロと歩き回る父を見て
自分の病室が分からなくなったのでは…と
最初は、師長さんが心配して付き添ってくださっていたようだけれど
次第に、ちゃんと分かってウロウロしていることを理解してくださり
良い意味で放っておいてくださるようになった
そして、「お父さん、すごいですね」と
よく分からないけいけれど、お褒めの言葉もいただいた。
でも、確かに父はすごかった
「名前は?」と聴かれても答えられない父が
RIE: 言葉がわからなくても、生きていけるからね…と言うと
父: そりゃそうだ…と答え
その通りに、生きている。
言われている言葉は分からないけれど、自分の思いは一生懸命伝えようとする。
話をしようとする。
父が言っていることは、ほぼ理解してもらえないけれど…
とにかく、臆せず伝えようとする。
その姿は本当にすごいと思う。
一方、伝えることがメインになりすぎて、人の話を聴かないと言う難点も(笑)
でも…これは脳梗塞になる前からなんだなぁ〜
そうしたら、担当の言語聴覚士(ST)さんにも…
STさん:あまり、話を聴こうとされないんですけど、前からですか?
RIE :そうなんですよ、前から人の話は聴かないんです。なんとかなりませんかね〜?
STさん:う〜ん、それは何とも…(苦笑)
まぁ、そりゃそうだ(笑)
70年以上の性格や特徴は、そんなに簡単には変わらない
生きているだけで、丸もうけ!
長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました❤️
次回は、「勝手に退院!」の巻
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また明日!
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入院して1ヶ月後、弟が帰省
父は初の外泊、久しぶりの家
父を病院へ、弟を空港へ送った帰り道
海辺のカフェで、母と一息
景色と、自然、美味しい料理に癒された
│更新日:2017年06月23日│